どの電力会社でもそうですが、四国電力もいきなり会社が設立され、四国の各地に電力が供給されるようになったわけではありません。
それぞれ各地に小さな電気事業者が創業し、やがてそれらが統一され、現在の四国電力になっています。
では、四国電力の歴史をたどってみましょう。
四国で一番最初に電気を提供したのは徳島県
四国における電気事業はどこで始まったのでしょうか。それは徳島です。明治28年に徳島点灯という会社によって供されたのが始まりです。
徳島点灯は、徳島市に5台の発電機を建設し、市の中心部などに送電を始めるようになりました。電気を使い始めたのは最初は536戸でした。
その当時の電気の値段はどれ程だったのでしょうか。いくつかの種類に分かれていて、それによって値段は異なっていました。
しかし、どの種類でも、その価格は非常に高いものでした。その中で一番安いものが1ヶ月で65銭でした。しかも、これは日没から夜中の12時までしか点灯することができないというもので、その中でも一番安い部類のものでした。
当時米10キロの値段が59銭でした。このように比較すなら、いかに電気が当時高かったかを理解できます。
香川県で電気を普及させた牛窪求馬
香川県に話を移してみましょう。香川県で初めて電気を販売したのが高松電灯という会社でした。それは明治28年のことでした。初代社長は牛窪求馬という人で、西洋文化を積極的に取り入れた人でした。例えば、高松で初めて自転車に乗ったのも牛窪でした。
高松電灯は発電機2機を設置し、電気を送り始めましたが最初のうちは高松市の中心部だけでした。294戸だけに電気が供給されていました。当時のお客さんは商家や官庁くらいだったそうです。一般人は電気を怖がったため、なかなか普及しなかったようです。
その状況を見た牛窪求馬は戸別訪問を行い、電気がいかに有用なのかということを説いて回ったようです。こうした努力が重なり、大正末期には3800戸の人たちが電気をつけるようになりました。
高知で電気事業を始めた川崎幾三郎
高知県は四国の中で3番目に電気販売が始まりました。四国において電気事業を始めたのは川崎幾三郎という人物です。
当初、水力発電の計画を立てていた川崎幾三郎でしたが、この事業には多くの資金が必要であるということが分かったため、今度は火力発電所を計画することになりました。そして高知市大川筋に50キロワットの火力発電所を建設しました。
電柱と配電線が装備され、明治31年に700灯の電灯が設置されることになりました。
愛媛県で電気事業を始めた伊予水力電気
四国の中では愛媛県が最後に電灯がついたところになりました。その事業を始めたのは伊予水力電気という会社です。
伊予水力電気は電気事業のために水力発電所を建設しました。その水力発電所は明治、大正、昭和という時代に渡って電気を送り続けていきました。
しかし昭和32年に老朽化のために廃止され、新たな発電所が設けられることになりました。
このように各地で様々な事業者が電気販売を始め、そしてやがて四国電力統一されることになりました。