毎日新聞の歴史を探ってみた!いつ毎日新聞との名称になったのか?

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毎日新聞は、読売新聞、朝日新聞とともに全国三大紙と呼ばれています。

毎日新聞の発行部数を見ていますと全国の販売部数は、朝刊が約330万部、夕刊が97万分です。毎日新聞はどの地域に強い影響力を持っているのでしょうか。

圧倒的に強いのが東京と大阪です。毎日新聞の前身が東京と大阪にありましたので、この二つの都市が発行部数が多いのも当然といえます。

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毎日新聞の歴史~東京浅草で創刊

毎日新聞の歴史を少しさかのぼってみたいと思います。毎日新聞が誕生したのは1872年のことです。東京日日新聞という名称で、東京浅草で創刊されました。

創刊者は、条野伝平、西田伝助、落合芳幾といった人たちが名前を連ねています。

創刊の第1号は木版刷りで発行していました。茶色と黒の2色刷りの印刷でしたが、しかし多くの手間がかかってしまいました。そのため第2号では、活字活版を用いて発行することになりました。

ところが記事に漢字と仮名が入り混じったため、とても読みづらい状態になってしまいました。その原因は活字の不足がもたらしたものです。そのために第 12 号からは木版刷りを復活させました。

しかしその後も鉛活字にしたかと思えば、木版刷りに戻したりするなど印刷には苦労したようです。

東京日日新聞の第1号は、二つの欄で成り立っていました。一つは「官書広報」、そしてもう一つは「江湖叢談」という名称の欄でした。

官書広報というのは法的な情報を載せる欄で、江湖叢談は社会的なニュースを伝えていました。

大阪毎日新聞も毎日新聞の前身

大阪毎日新聞も毎日新聞の前身に当たります。

大阪毎日新聞は1876年に大阪日報という名称で西川甫が創刊しました。当初は政党機関紙のような新聞でしたが、その後買収され、実業界の機関誌へと転身を図りました。

そして1888年に大阪毎日新聞と名前を変えました。

その後、1911年に大阪毎日新聞が東京日日新聞と合併し、全国紙として歩むようになりました。ですがこの時点では、毎日新聞という名称にはなりませんでした。

毎日新聞社と社名を変更

毎日新聞と社名を変更したのは1943年のことでした。こうして今の毎日新聞という名称が誕生しました。

毎日新聞は昔から様々な事業に乗り出していました。

例えば1922年にはサンデー毎日を発行しています。

さらに英文毎日もこの時に登場しています。

また1924年には第1回選抜中等学校野球大会、今の選抜高校野球大会が開催され、この新聞社が主催者となりました。

今でも報道の一翼を担っている新聞社ですが、現在の社是は「報道に近道はない」というものです。最近は、報道機関のあり方が何かと取り沙汰されていますが、公平かつ中立な立場で報道するように社是を心に留めて取材していただきたいと思います。

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