報知新聞社の歴史を探ってみた!たくさんの有名人も輩出している

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報知新聞社はスポーツ報知というスポーツ新聞の他に様々な雑誌を出版しています。

報知新聞社は読売新聞グループ本社の傘下にあるものと考えている人が多くいます。確かに読売新聞グループ系の新聞社ですが、本社直轄ではありません。

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報知新聞社の戦前の歴史

報知新聞社の歴史を遡ってみたいと思います。

報知新聞社の前身は郵便報知新聞という新聞社でした。これは初代駅逓頭であった前島密が考え出したものだといわれています。

前島密とは郵便制度の創始者で、駅逓頭の時代に東京―京都―大阪間に官営の郵便事業を開始した人です。郵便や切手という名称もこの人が考えだしました。

その前島密の意向を受けて秘書だった小西義敬が1872年に郵便報知新聞を創刊しました。その翌年には会社が設立され、報知社と名付けられるようになりました。

1942年には新聞統制令が政府によって出され、現在の読売新聞東京本社に吸収されることになりました。それに伴い新聞の題字も変更され、「読売報知社」となりました。

報知新聞社出身の有名人たち

戦後は「新報知」が創刊されましたが、これが現在の報知新聞の始まりと言われています。

この新聞社の出身者には、様々な有名な人たちがいます。例えば、その1人に犬養毅がいます。犬養毅は後に第29代総理大臣になった人です。

羽仁もと子も報知の出身です。羽仁もと子は自由学園や婦人之友社の創始者となった人です。羽仁もと子は1897年に報知社に入社し、新聞の構成係を担当していました。文才に溢れていて、自主的に書いた原稿が素晴らしいと周囲に認められ記者に登用されることになりました。そうした結果日本で初めての女性ジャーナリストとなりました。新聞社に勤めたことが、彼女のその後の人生に大きな影響を与えました。

磯村春子も報知新聞と縁の深い人です。この人は NHK の連続テレビ小説「はね駒」のモデルとなった人です。1905年に報知社に入社し、記者として活躍しました。

このように様々な有名人が入社していました。

報知新聞社が現在手掛けている事業

報知新聞社は、新聞以外にも多くの事業を手がけています。例えばこの新聞社が出しているマガジンの中には月刊ジャイアンツがあります。ジャイアンツに関する様々な情報を提供しています。

報知高校野球も発売されています。こちらは偶数の月に発売される雑誌となっています。全国の様々な高校球児の話題を伝え、また注目選手へインタビューを行ない、その内容を掲載しています。

報知グラフという雑誌も発売しています。この雑誌は様々な分野のスポーツを扱っています。プロ野球の情報はもちろんのこと、1月ならば箱根駅伝を扱ったり、高校サッカーの情報を伝えるなどしています。

報知新聞社はスポーツ専門の新聞社であり、様々な取材の裏付けによって紙面の内容を充実させています。今後も興味深く楽しく感じさせるような内容作りをして欲しいと思います。

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