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SANAAとは何者なのか?

SANAAとはある日本人建築家のユニット名です。その日本人建築家とは、妹島和世氏と西沢立衛氏です。この2人がタッグを組んで1995年に設立したのがSANAAという設計事務所です。SANAAはSejima and Nishizawa and Associatesの略で、「サアナ」と発音します。SANAAは日本の建築も手がけてきましたが、この2人のユニットをいち早く評価をしたのは海外の国々でした。

妹島和世氏の経歴について

妹島和世氏は1956年に茨城県日立市で生まれました。日本女子大学家政学部住居学科卒業後、大学院に進み、修了後は伊東豊雄氏が経営する事務所で働くようになりました。その後独立を果たし、1987年には妹島和世建築設計事務所を立ち上げました。現在では妹島和世建築設計事務所とSANAAの代表取締役に就いています。

西沢立衛氏の経歴について

西沢立衛氏は1966年神奈川県横浜市で生まれました。1988年に横浜国立大学工学部建築学科卒業後、大学院に進みした。妹島和世氏との出会いは学生時代でした。学生時代に伊東事務所と妹島事務所でのアルバイトの経験を持つ西沢立衛氏は、そこで妹島和世氏と知り合うようになります。
その後2人は建築家ユニットSANAAを立ち上げることになりました。

世界が認めた建築ユニット

SANAAは2004年にイタリアのベネチアビエンナーレ第9回国際建築展において金獅子賞を受賞し、2010年にはプリツカー賞を受賞しました。プリツカー賞は建築界のノーベル賞と言われるほど、建築家にとっては名誉ある賞です。このようにSANAAは世界にその名を轟かせてきました。
そして2004年にフランスのルーブル美術館がランス新館の件でコンペを実施しました。当初有利だったのは世界建築界の女王ザハ・ハディドでした。しかし、徐々にSANAAがザハ・ハディドを追い上げ、最終的にSANAAの設計案が採用されることになりました。

新国立競技場のコンペで

2012年に東京オリンピックで使用する新国立競技場の設計コンペが行なわれました。SANAAもそれに取り組み、長い時間をかけて膨大な設計案を1つ1つ検討し、遂に最終案を提出しました。しかし、そこに立ちはだかったのはルーブル美術館のランス新館のコンペで破ったザハ・ハディドでした。11月7日に最終選考会が行なわれ、採用されたのはザハ・ハディドの案でした。
しかし、ザハ・ハディドの案は後に却下されることになりました。
新国立競技場のコンペで敗れはしたものの、SANAAの実力は世界が認めています。今後もグローバルに活躍していくことでしょう。

今回はSANAAについてご紹介しました。妹島和世氏と西沢立衛氏の二人が代表を勤めているSANAAは、日本が誇ることのできる大変優秀な建築家集団です。新国立競技場の設計コンペで案を当初採用された世界建築界の女王ザハ・ハディドを破ったこともある実力者たちです。海外での評価がとても高く、今後ますます世界を舞台に活躍することでしょう。